昭和30年代に生産されたJanomeの職業用ミシン。
ミシンは中古で手に入れたものですが、約50年を経て僕のところへ
やってきてくれてどうもありがとう。以前の持ち主の方々にも感謝です。
月別: 2013年2月
#029
先日早朝から夕方にかけて、往復200キロの日帰り原付ツアーへ行ってきました。
途中、道を間違えて、予定していたルート外の名も知れぬ山を
泣き出しそうな気持ちで越えて、なんとか別ルートで目的地へ到着できました。
友人らとは現地(目的地)集合だったのですが、友人らが目的地で待っていなければ、
僕はあきらめて引き返したしたかもしれません。サンキューです。
#028
ここ数日、珍しく右肩がものすごく凝っていて、大げさですが、
爆弾を抱えているような心地で、眠りに就く前になんともいえない痛みが襲って。
ということで、久しぶりに温泉へ浸かりに行ってきました。
大きな浴槽でこじんまりと全身浴と半身欲を繰り返し(笑)、
洗面台のシャワーで肩を重点攻撃、 上がった後の冷水と扇風機はこの上なく。
温泉のある高台から望む鹿児島市夜景を眺め、帰途に着きました。
おかげさまでだいぶ凝りが取れました。
#027 It's raining.
今年はなんだか雨の日が多いような気がする二日酔い気味の朝。
旧友との楽しい時間を過ごした昨夜でしたが、珍しく胃がむかむかしています。
効果があるかどうか全く確証はありませんが、
朝起きてから緑茶を浴びるように飲んでいます。
追記・正しくはrainingを誤ってrainnigにしてました。
スペルミスは胃のむかつきのせいにしておきます(笑)
#026 継ぎ接ぎ
yashica MF-2 super / フィルム不明
おそらく向こう側がこの建物の正面にあたるのだと思いますが、
僕は正面から見えないトタン板とブルーシートの共存に魅力を感じます。
#025
祖母は暇さえあれば、縫い仕事をします。
温かい日には屋外でも。
#024 とりあえずビールで
どんな世界にも際限なく上には上がいるものだと思います。
見渡せば目がくらみ、自分のちっぽけさに嫌気がさします。
そういうときは、ちっぽけさを引き受けることが大事だと自分に言い聞かせます。
そして、やれることやりたいことやって幕引きしたいものです。
だから、とりあえずやってみよう、が僕の信条です。答えは自分の中に。
あ!営業再開した際に言い忘れていましたが、
かばんとエプロンのセミオーダーのお店に変わりました。
基本的に実店舗のみでご注文をお受けしております。
#023 揺さぶるもの
yashica MF-2 super / フィルム不明
僕が生かされている上で、心の羅針盤になっている
好きなロック(=形は音楽じゃないけれど)をいくつかご紹介(順不同)
◆
橘川幸夫・著「暇つぶしの時代-さよなら競争社会」
2003年発行 p226より引用
『今の日本は、どの企業がつぶれても不思議でない状況になっている。
一兆円規模の売上高を誇る企業ですら倒産していくだろう。
いや、絶対にあり得ないことが続々と起きている日本経済の中では、
日本国ですら債務超過で破産することもあり得る。
しかし、たとえ破産したとしても、僕らの生活は続くのである。
僕は、今の大企業や中央権力中心の経済活動を続ける限り、
日本が破産した時に対応のしようのない事態になると思っている。
本書は、日本が破産しても笑顔で生き延びるための提案書である。』
すごく胸に響く曲の数々。今もたびたび読み返す僕の名盤です。
◆
中国杜甫の有名な五言律詩「春望」の冒頭
「国破山河在」
誰もが知っているであろう有名すぎるフレーズ。
人間が作り出したものが行き詰まったとしても
山や川や海は自然の摂理の下、在り続けて、
そして、命あるものは命果てるときまで生き続ける。
という好き勝手な解釈を僕はしていますが、
仮に大きなものの枠組みが壊れても、
僕らの人生は続くのだと、教えてくれていると思います。
◆
森忠明・著「風はおまえをわすれない」 P.121より引用
あらすじは省略させてもらいますが、
例のごとく深谷にだまされたと思って
探して読んでみてください。
主人公の小学6年生・森花行くんがお母さんに
「お母さんの生きる目あては何?」と尋ねる場面があるのですが、
その母子の会話を以下に引用。
『「あたしの・・・・・・母さんの、生きる目あて。」
「・・・・・・・・。」
「笑われちゃうだろうけど、母さんてね、何を目ざして生きてるのか、
自分でもわかんないのよ。」
「・・・・・・おれたち人間が、なんのために生まれてきたのか、も?」
「・・・・・・わからないんだよね・・・・・・。」
「三六年間、生きても?」
「だらしないけど、わからない・・・・・・ただね、どんなに死にたい、
死んでしまいたい、と思っても、心臓って、止まってくれないでしょ。」
「まあね・・・・・・。」
「だから、生きていくしかないみたい、わかんなくても。」
「・・・・・・・。」』
どの時代を切り取ってみても、姿かたちは違えど、
僕のような人間はきっと存在していて、
1000年前に僕のような人間、1000年後にも僕のような人間がいて、
同じように笑い、同じように泣き、同じように怒り、同じように悲しみ、
同じように生きて死んでいく(死んでいった)人間がいる(いた)と思うのです。
だから、生かされている以上は喜怒哀楽を楽しめってことだと、
僕は花行くんとお母さんの会話から教えてもらいました。
荷物抱えて今日も歩こう。
#022 main street of my village
yashica MF-2 super / フィルム不明
なんてことない僕の住む集落のメインストリート。
うねうねとくねったメインストリートで、自動車が対向するときはすれすれ。
だけれど、ここ十数年間(おそらくもっと)、この通りで事故が起きたことはないです。
もちろん、ひやひやすることもありますが。
僕の校区には「けんか道路」というこれまた細いのに交通量が多い名物道路が
あったのですが、区画整理とともに幅広の一直線のバイパス道路みたいに
なってしまいました。何事も一長一短なんでしょうね。
誠に勝手ながら、本日は14時までの営業とさせて頂きます。
#021 横顔
yashica MF-2 super / フィルム不明
観覧車の横顔は、ロケットに見えないこともないかな。
高いところから眺めるのは好きなくせに、僕は高所恐怖症気味です。